2013年9月19日木曜日

昨今の流行の「共有」と「誰かと繋がっている感」について

ばかじゃねーの。
何を誤訳したらそうなるの?

どっかの誰かさんが共有と誤訳したのをまんま日本語通りで受け取っているから困る。
正しくは、「最低限の存在を認めていること」を指す。
具体的には「そこにある、いる」を表しています。

無愛想な言い方をすると、そこにあるのでいかようにでもお使いください。
少し愛想の良い言い方をすると、これはあなたの力になるものかもしれません。
となる。
無機質な言い方をすると先述通り「そこにある」となる。

この表現の以下でも以上でもない。
日本語の妙と言えばそうなんだけど、もちっと何とかならんのかね~。

「誰かと繋がっている感」について。
残念ながら人はいつまでたってもどこまでいっても一人です。
感という言葉で濁していますが、それってとても都合の良い話だよね。
思いやりがないし、思いやりを受け止められる度量もない。

あなたが今一番つながっていると思わないといけないのは誰ですか?
時間を作って、一生懸命時間を作って、そのためだけに時間を何とか作って、
そうして作った時間を大切にしていますか?
あなたの時間にとってそれは大切な時間ですか?

人付き合いにおいて大事なことは縁を切らぬようにすること。これは最低限。
例え疎遠になったとしても、何かの時に連絡とってみるかーというのも大事でしょう。
こまめにツイッターやメールなどで些細だとしても継続して行うことは大事なことです。
が、気軽に簡単、短時間に「済ます」というのはちょっと違うと思う。

少なくとも僕は、大切な時間のために作った時間をもう少しだけ大きくできないか、
大切な時間を思いっきり楽しんでもらうためにもうちょっと何とかできないか、
そんな風にアプリやシステムの先にいる人のことを思ってがんばっている。

「ゆるいお付き合い」は例え疎遠になってもそれまで作った信頼があるからこそ成り立つ。
「お~久々~!元気にしてた?」とか言えるのがゆるいお付き合い。
即席のお付き合いなんてのはこの世にない。それはお互いを利用している関係だ。

まぁ、世の中にあるgoodとかいいね!とか言うのが気に入らないだけなんですけどね。
早いとこ機能不全であることを認めてこの世から抹消してほしいと切に願ってます。
人の思いはそんなもんで表現なんかできねーんだよ。
本当にいいと思ったらちゃんとレスがつく。そこに書いてあること、文章のタッチが全てだ。

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